「いかにして後世により良い作品を残すか」
俳優・真田広之さんとの対談を通じて、「文化」や「思い」の継承において大切なこと、「人生100年時代」の捉え方や生き方について考えていきます。
ハリウッド映画『ラスト サムライ』出演を機に、
海外作品の日本文化への誤解を解こうと決意。
入江:本日はお目にかかるのを大変楽しみにしておりました。早速ですが、真田さんにぜひお伺いしたかったことがあります。私自身、海外の映画やオペラの日本の描写に違和感を覚えることがありまして、作品のテーマや想定する主なオーディエンス(視聴者)によってある程度は演出として許容範囲かとも思いますが、それでも気になる部分もあります。20年ほど前になるかと思いますが、真田さんが出演されたハリウッド映画『ラスト サムライ』では、撮影現場でそのことについてずっと意見をされていたと伺いました。
そして最近では別の作品で共演されたジョニー・デップさんは「真田さんから日本文化を教わった」、ブラッド・ピットさんは「作品にエレガンスと格をいただいた」とお話しされています。これは私の憶測になりますが、真田さんは、単に日本の風景や衣装、歴史などを正確に描写するということではなく、もっと深い日本文化の本質を伝えたいと考えていらっしゃるのかな、と。だからこそ20年に渡ってハリウッドで活動され、それが徐々に浸透してきたのではないかと思います。真田さんの「日本や日本文化を正しく伝えること」への思いと、実際の撮影現場でどんな提案や助言をされていらっしゃるのか、差し支えのない範囲でお聞かせください。
真田:私自身、海外の作品で日本や日本の文化がともすれば誤解を招きかねない描き方をされているのは忸怩たる思いがありました。ですから、『ラスト サムライ』への出演が決まった時は、自分が抱いた疑問はとにかく正していこう、そして、日本人が見ておかしくない、世界に発信しても恥ずかしくない作品にしようと心に誓ったんです。撮影が行われた半年間は自分の出番がなくても毎日現場に通い、セットや小道具からエキストラの衣装まで細かくチェックしては意見させてもらいました。「うるさいな、お前はもう要らない」と言われたらそれまで、これが最初で最後のハリウッド作品になっても構わないという覚悟でした。
撮影終了後には仕上げの作業が半年くらいあるのですが、その間も監督やプロデューサーから「広之がいてくれると心強いから」と呼ばれて、週に1度はスクリーニングをしながら各部門のチーフと一緒に確認作業をしました。部門のチーフはアカデミー賞受賞者もいる、ハリウッドの猛者ばかりです。しばらくして彼らに呼び出されたので、「文句の一つも言われるのだろう」と思って出向いたら、なんと、「今日は広之への感謝のディナーだ」というんです。「広之のおかげで、我々が映画作りを始めた頃の情熱を思い出したよ」と言葉をかけられ、不覚にも涙がこぼれました。
この経験を機に、自分の中に「東西の文化の壁は取り払えるんじゃないか」という思いが生まれたわけです。以降作品に関わる際は、監督やプロデューサーの許可を得た上で、日本人が見て違和感を覚える部分を修正していく役割を担うようになりました。
入江:真田さんはかつてインタビューで「お互いの文化をリスペクトして学び合うことが、製作現場を快適にして、より良い作品につながる」とおっしゃっていました。まさにその積み重ねが、先ほどのジョニー・デップさんやブラッド・ピットさんからの賛辞に結実しているのではないかと思い、感銘を受けました。ところで、真田さんと言えば、アクションというイメージをお持ちのファンの方も多いと思います。
以前、アクションについて「ドラマの沸騰点で生まれるもの」、「大事なのはその動きの後、演じる役にどういう感情が生まれ、どうドラマに着地するか」と話していらっしゃいましたが、改めてアクションに対する思いとアクションがドラマの中で活きてくるために大切なこと、演じる側はもちろん、製作サイドに期待することなども含めてお伺いできたらと思います。
真田:もともと、アクション俳優になろうというつもりはなかったんです。私は子役として5歳で映画デビューしました。「大人になっても俳優を続けていくなら、何でも自分で演じることができれば、それが自分の強みになる」と考え、中学生の頃からいろいろな習い事を始めました。日本舞踊、歌、ダンス……アクションはそのうちの1つに過ぎません。ですから、私にとってアクションとは、あくまで演技の1つの要素です。なぜ戦うのか、どんな気持ちで戦っているのか、戦い終えた後にどんな感情が残るのか……ドラマの展開上必然性があって、そのためのアクションでなければ単なる見世物で終わってしまいます。
そこは私にとって譲れないポイントで、そのことを理解してくれる監督、プロデューサー、スタジオのスタッフの方々がいなければ成り立ちません。彼らのことを理解した上で、私の思いも分かっていただけるような伝え方をする。そうしたコミュニケーションがいいアクションシーンを撮る際には欠かせないように思います。
ドラマのアクションシーンも、相続も、
思いを実現するには「理解者」が必要。
入江:思いを実現するためには理解者が必要というのは、私どもの仕事にも通じる部分があります。信託銀行ではお客さまの資産や事業の承継をサポートする業務を行っています。例えば、遺言書の作成をお手伝いして、実際にその遺言の執行者として手続きをして、次世代に資産を引き継ぐお手伝いをさせていただくのですが、遺言を執行する際には書いた方はいらっしゃらないので、私どもに求められるのは遺言者の思いや遺産の分配の背景を理解した上で、専門性を発揮して皆さまにご満足いただく相続を実現することだと考えております。
相続の場合、主役はお客さまで私どもはあくまでサポーターですが、お客さまの良き理解者になることが、全体をより良い形にしていくことにつながるわけです。ですから、今の真田さんのお話には大変共鳴致しました。異国の地に飛び込んで、理解者を着実に増やしているのは素晴らしいことですね。真田さんがアメリカに拠点を移されてから20年近くなりますか?
真田:ええ。『ラスト サムライ』の公開後すぐに移り住んだので、早いものでもう20年ですね。
入江:大きなご決断だったと思いますが、当時拠点を移すに当たってお考えになっていたことや、この20年間を振り返って日米の違いを強く感じられた点などがありましたら、ぜひお教えいただけたらと思います。例えば、撮影現場の雰囲気なども日本とアメリカでは違うものなのでしょうか?お仕事に限らず、日常生活の中でお感じになった文化の差、習慣の差などがありましたら、お聞かせください。
真田:そうですね……。『ラスト サムライ』の現場を経験して、仕事がある度に日本から通って撮影を終えたら帰るというスタイルを続けているうちはいつまで経っても“お客さま扱い”しかしてもらえない、ハリウッドの方々のことを理解し世界のマーケットを相手に仕事をしていくなら彼らの中に飛び込むしかない、と思うに至ったんですね。それは、監督、プロデューサー、スタジオの方々に対して、私の本気度を示すことにもなります。「明日ミーティングをやるから来られるか」と言われてもすぐ行ける、そういう状況に自分を置かないと対等に扱ってもらえない状況でもありました。
移住は今考えても無謀なチャレンジだったと思います。それほど英語が得意だったわけでもないので、日常的なコミュニケーションも含め、本当にあっぷあっぷしながら、少しずつ向こうの流儀に慣れていったという感じです。一方で、私にとっては非常に居心地のいい環境だったのも確かです。海外の現場では年功序列といった意識があまりなく、ベテラン俳優に対して新人俳優が堂々と意見を言い、対等に話し合う土壌があります。また、イギリスの舞台に立った時は、サーの称号を持つ主演クラスの俳優でさえ、地下鉄に乗ってひとりで現場にやって来て、舞台の上でとびきりのオーラを放ってさっと帰っていく感じでした。マネージャーやアシスタントに任せることなく自分のことは自分でやり、しっかり本業に専念していれば、そこで認めてもらえる。まさに自分の理想とする世界がここにある、と思えたんです。
入江:年齢や立場に関係なくお互いをリスペクトした上で、皆で力を合わせてより良いものを作り上げていく。そういう環境を心地良く感じられたわけですね。
真田:まさにチームワークで、皆が力を合わせて進めていくというのがいいですよね。
入江:だから素晴らしい作品が生まれるわけですね。今、日米の文化の差についてお伺いしたのは、私どももお客さまの資産や事業の承継をお手伝いする中で、実は、日本と外国の法律や制度の違いを感じることが多いからです。私どもが扱っている信託は、そもそもアメリカやイギリスで発展した制度で、日本ではまだ活用の余地があります。また、相続の世界でも、例えば遺言は終活の一環で、今は考えたくないという方が結構いらっしゃるのが現状です。
これに対し、アメリカでは若い世代も自分に万一の時はSNSのアカウントを削除してほしいといったメッセージを残したり、遺言書を作成したりする人が多いと聞いています。あくまでリスク管理という考え方なのですね。一概にどちらが正しいとは言えませんが、日本では古くからの慣習があり、また、残す側と残される側の意識にギャップがあることが多く、それが相続トラブルの一因になっています。長寿化による高齢者人口の増加、ライフスタイルや家族のあり方の多様化が進む中で、私どもの業務においても、相続や遺言などについてはアメリカの文化や考え方も参考にしていけたらと考えているところです。
20年の現場での積み重ねが認められた
ドラマ『将軍』でのプロデューサーデビュー。
真田:なるほど。確かに、おっしゃるような違いはあるかもしれませんね。
入江:さて、次にお伺いしたいのが、真田さんがプロデューサーデビューなさったことについてです。撮影が行われたのは2021年ですが、アメリカのFXチャンネルのドラマ『将軍』で、主演に加えプロデュースも担当されたとお伺いしました。私はクラシック音楽が好きでよく聴きに行くのですが、音楽の世界で言うなら、オーケストラのコンサートマスターが指揮者や作曲家を兼ねるくらい、すごいことだと思います。真田さんは以前のインタビューでいずれはプロデューサー的な立場になりたいとお話しされていましたが、プロデューサーを志した理由や、プロデューサーとしての目標についても、お伺いできたらと思います。
真田:先ほど申し上げたように、『ラスト サムライ』以降どの現場でも同じようなことをしてきたのですが、肩書がないこともあり、一俳優として意見することの限界も感じていました。やはり、仕事として日本や日本文化の描写について意見を述べるポジションが必要ではないかという思いが、年数、作品数を重ねるごとにどんどん強まっていたんですね。オファーを受けたのは、そんな時でした。『将軍』では自分の主演が先に決まっていたのですが、その後、「プロデューサーも兼務してくれないか」と声がかかったんです。先方は日本の時代劇を扱ってきたアメリカのプロダクションで、20年やってきてようやく認めてもらえた、自分の仕事の必要性を分かってもらえたと思うと感無量でした。
プロデューサーになったからといって現場でやることが特別変わるわけではないのですが、肩書という“印籠”を得たことでスタッフも私の助言をすんなり受け入れてくれました。事前の打ち合わせや会議にも当然のように呼ばれ、メールに画像を添付して送って指示するなど準備段階から深く関わることができたので、現場に入ってからが非常にスムーズでしたね。さらに、それまでは孤軍奮闘でしたが、プロデューサーになったことで日本から信頼できるクルーやキャストを連れてくることができ、衣装やかつら、小道具といった細かいパートはそれぞれの専門家に任せられました。その上で私のところに情報を集約し、必要があれば私が代表して監督に話をするという形です。正直、肩書があるとこうも違うのかと思いましたが、これまで苦労してきた経験があるから今があるわけです。そういう意味では、還暦を迎えた節目の年にプロデューサーデビューし、自分としてもまた新しい章が始まったんだなという思いです。
入江:お話を伺う限り、アメリカに拠点を移された時から、あるいはそれよりもっと前からプロデューサー的な立場で製作に関わるご自分のイメージをしっかり持っていらしたからこそ、1つ1つの現場できっちり意見を言うといった地道な努力を積み重ねてこられたように思います。
真田:自分の出演する作品をより良いものにしたい、という思いですね。今も毎日、ご覧になった日本の方々の「何やってるんだ、お前」という声が聞こえるような気がするんです。一種の強迫観念かもしれません(笑)。いったん関わると決めたら、できる限りいい作品に仕上げたいという信念は、日本にいた頃から変わらないですね。
入江:作品に対して、ものすごい責任感をお持ちなんですね。信託の世界に「フィデューシャリー・デューティー(受認者責任)」という言葉がありますが、まさにそれに通じるものがあります。
真田:俳優という職業の場合、自分がこの世からいなくなった時に残るのは作品しかないんです。まさに「残していくもの」ですよね。だからこそのこだわりなのかもしれません。
入江:今のお話にもつながるのですが、かねてからハリウッドで活躍する日本人俳優として「若い世代に架け橋を残したい」とおっしゃっています。プロデューサーを務められたドラマ『将軍』では、実際に日本人のキャストやクルーを多数登用されました。このプロフェッショナル対談シリーズは一貫して「残していくもの、伝えていくこと」をテーマにしておりまして、真田さんが、ご自身に続く日本の若い俳優や映画業界に携わる後輩たちに残したい、伝えたいと思っていらっしゃることをぜひお聞かせいただけたらと思います。
日本人俳優がスムーズに海外と行き来をし、
当たり前に海外マーケットで活躍する時代を築きたい。
真田:そうですね。20年前には日本とアメリカの間には大きな壁が立ちはだかっていて、何とか私たちの世代で壁を壊して、できれば橋を架けてつなげるようにしたいという思いでこれまでやってきました。当時から、自分の俳優人生においてはそれが非常に重要なミッションになるんじゃないかという予感のようなものがあったんです。そして徐々に門が開き、壁が崩れてくるのを感じてきました。今は橋の土台ができつつあるくらいでしょうか。橋が完成した暁には日本の素晴らしい俳優やクルーを堂々と世界に紹介したいという思いがあり、その思いは『将軍』の製作を経てさらに強まりました。
こうした刺激や充実感は、もしかしたら俳優としてカメラの前に立つよりも大きなものかもしれません。モニターを見ながらアドバイスをし、いい演技が生まれた時は、自分の演技を褒められるよりずっとうれしい。一度そういう経験をしてしまうと、これは病みつきになるんじゃないかと思うわけですよ。同時に、日本から来た人たちの良き理解者となって、演技以外のことで消耗しないようサポートしてあげる。それも重要な役割だと思っています。私自身がプロデューサーとしては初心者ですが、地道に活動を続けていき、日本人がスムーズに海外と行き来でき、当たり前のようにグローバルなマーケットで活躍する時代を築いていけたらいいですね。
入江:真田さんご自身が若い世代の思いを受け止め、良き理解者であろうとされているわけですね。私どもも先ほどお話ししたように遺言書を書かれる方の思いを受け止め、良き理解者になるべく日々努力していますが、相続の現場でそれと同じくらい大切なのが残される側のお気持ちもしっかり理解しておくことです。それができていないといざ相続という時にトラブルになったり、相続人同士に感情的なしこりが残ったりしてしまうことがあります。ですから、私どもとしては残す側、残される側双方の理解者となって、お客さまの資産や事業、あるいはレガシーを伝えていくサポートをすることが必要で、それこそが信託銀行の使命であると思うわけです。
そういう意味で、真田さんに当社のCMにご出演いただいているのは大変ありがたいことです。さて、まだまだお伺いしたいことがたくさんありますが、お時間も長くなりましたので、最後のご質問をさせていただきます。日本では2023年9月に公開を控える『ジョン・ウィック:コンセクエンス』で、物語の鍵を握る謎の日本人ワタナベ役を演じていらっしゃいます。作品を通して真田さんが日本の皆さんに伝えたいことがありましたら、お教えください。また、今後、俳優やプロデューサー活動を続けていく上での抱負もお聞かせいただけたらと思います。
真田:『ジョン・ウィック』シリーズでメガホンを取るチャド・スタエルスキ監督はスタントマン出身で、ハリウッドで最もアクションのことを理解している監督の1人です。主演のキアヌ・リーブスとは映画『47RONIN』以来12年ぶりにタッグを組むことができました。2人をはじめ素晴らしい理解者たちに恵まれた撮影現場で、非常に充実感がありました。アクションシーンについても、なぜ戦うのか、戦った結果どういう感情が生まれるのかといったアクションの意味を追求し、1つ1つの動きにサブタイルが透けて見えるような振付を皆で一体になって作り上げているので、楽しんでいただけたら幸いです。これからも演技を続けながら、プロデューサーとしても日本の優れた人材をどんどん紹介していきたいですね。1作、2作では時代は変えられないので、どんどん撃ち続けていくつもりです。同じ思いの後輩たちには「架けた橋を渡って自分の後に続き、一緒に時代を変えていこうよ」と呼び掛け、ぐいぐい引っ張っていこうと思います。
入江:本日のお話を伺い、真田さんの映画を通じてアメリカと日本の架け橋になろう、その思いを自分に続く後輩たちに伝えていこうというご意思を強く感じました。プロデューサーデビューをされたことで活動領域を広げつつ、さらにご自身でも楽しみながらチャレンジを続けていきたいということと拝察します。真田さんしかできない素晴らしいことで、真田さんと同世代の方々にも大きな勇気を与えると思います。これからもさまざまなお立場で活動されていかれることと思いますが、私も一ファンとしてご活躍を楽しみにしております。本日はありがとうございました。
真田:こちらこそ、ありがとうございました。