古くから脈々と受け継がれている日本酒の価値が今再発見されつつあります。「Sake から観光立国」を目標に日本酒の普及に尽力する平出淑恵さんと2020年に設置された国税庁酒税課輸出促進室長の山下尚志さんの対談を通じて、日本酒の魅力やその価値についてお届けします。

日本酒をとりまく環境が変遷する中で起こった解放

平出:まだキャビンアテンダントをしていた20年くらい前から「日本酒を世界の酒にしたい」といろいろなところで語っていましたが、そのたびに蔵元さんから「あまり輸出のことを言わないほうがいいんじゃない?酒税が免税*されて国税庁に弓を引くことになるから」と言われてきました。けれど国税庁に酒税課輸出促進室が設置され国が輸出に向けて舵を切ってくれたので、そこから蔵元さんたちの意識がガラリと変わったように思います。

*酒類製造者が外国に輸出する目的で酒類を製造場から移出する場合(輸出免税)などには、例外として、酒税を免除することとしています。

https://www.nta.go.jp/taxes/sake/qa/20/01.htm

山下:歴史の長い蔵元さんはやはり地元の名士という方が多いですよね。そうした環境では、新しいことに一歩踏み出すのをためらってしまうのも無理はありません。外国で自分たちの商品を適切に扱ってくれるのかといった不安を抱いたり、これまで受け継いできた伝統を守らなければならないという重圧がありますからね。

平出:一般的に経営者というのは、冒険心を持っていろんなことにチャレンジしていくと思いますが、一方で蔵元さんは真面目な方が多く、自分たちの代で潰すわけにはいかないという意識があり、しきたりや人間関係に縛られがちです。けれど、そんな人々が輸出というまっさらなところに出ていくことは本当にチャレンジングなことですし、しがらみからの解放も意味するのではないかと思います。

山下:国内での日本酒の消費量が落ちてきて、経営者としても危機感を抱いた蔵元さんはたくさんいらっしゃったと思います。そしていざ外に出てみると、今までのやり方が全く通用しない場合もあり、新たな気づきもあったのではないでしょうか。新しいやり方にチャレンジしたり、逆に伝統的なやり方に立ち戻ったりして、自分たちの酒造りに真摯に向き合ってこられた蔵元さんたちはとても活気があるように思います。

平出:日本酒は元々神様に捧げてきたもので歴史がありますし、世界的に見てもとても複雑な製造工程です。それを代々継承してきた人々が全国各地にいるというのはとても素晴らしいことですよね。そんな日本酒に関われることが嬉しくて、2006年、若手の蔵元の全国組織の会議に参加し始めた頃に、毎回ウキウキ出席していた私に「斜陽産業の日本酒の会議でどうしてそんなに楽しそうなんですか」とある蔵元さんに尋ねられたことがあります。わたしはこれを聞いた瞬間、蔵元さん自身がその価値を認識されていないと感じました。だからこそ、日本酒は世界に通じる価値があると信じていたので、ほぼ国内でしか飲まれていなかった日本酒を国際化して、海外の方に、その素晴らしさを理解してもらおうと思いました。

山下:やはり外に目が向いている方は、自国の文化を振り返る機会が多いので、和食や建物といった素晴らしさを再発見できるのだと思います。元々キャビンアテンダントとして活躍されていた平出さんだからこそ、日本酒の可能性に気づくことができたのでしょうね。

平出:ありがとうございます。輸出促進室ができると聞いたときは、これで本格的に日本酒が世界の酒になっていけると思い本当に嬉しかったです。やはり関税の交渉などは蔵元さんではできませんからね。

山下:国税庁は酒類業の所管省庁として、農林水産省や外務省などとも連携して酒類の輸出促進に取り組んでいます。国税庁というと堅い組織にみられますが、国税庁の中で唯一産業振興を行っているのが酒税課です。お酒に対する税金をしっかり納めていただくためには、経営が安定しなければならず、産業政策的にも技術的にも支えていく必要があるという背景があります。

地方創生の鍵を握る日本酒

平出:これまで日本酒の輸出はアメリカが一番でしたが、最近では中国が伸びていますよね。やはりお米を食べる国だからなのでしょうか?

山下:人口が多いこともありますし、あと意外かもしれませんが、中華料理にも日本酒が合うんですよね。その親和性も輸出増加の一因ではないでしょうか。

平出:中国からの観光客はとても多いので、首都圏だけではなく、酒処に行っていただきたいですね。

山下:酒蔵は歴史的な建物が多いですし、酒造りそのものがとても価値のあるコンテンツです。この重要なコンテンツを活用した観光を振興するために、酒蔵ツーリズムを企画したりインバウンドの受け入れ整備に対して補助金で支援したりしています。

平出:輸出のみならずインバウンドにも国税庁が関わっていることを知らない方は多いかもしれませんね。蔵元さんは、その地域を背負っているまさにその地域の語り部のような存在ですのでツーリズムにはぴったりだと思います。

山下:酒蔵は昔から地域の方々と繋がりがあるので、地方創生という文脈においては、まさに核となる存在です。地域を支えようという思いを持っている酒蔵の方々は、観光客の受け入れにも積極的です。また蔵元さんの中にはワインのシャトーを目指しているところもあります。ブドウ作りから自分で携わるといったように、まわりの田んぼで取れたお米を使う取り組みをしている蔵もあります。米作りも含めたツーリズムとしての魅力を訴えることはとてもいい流れだなと感じています。

平出:高齢化により地域の農家の担い手がいなくなったため、米作りを引き受けたという蔵元さんもいらっしゃって、その役割の大きさにとても驚きました。

山下:このような活動は耕作放棄地の対策にも繋がるので、社会的に意義がある活動だと思います。そのような視点で作ったお米を使ってできた日本酒は、PRする上ではとても良いポイントになります。今、「伝統的酒造り」はユネスコ無形文化遺産への登録を目指しています。登録されれば日本酒について知っていただくとても良い機会になりますので、文化庁さんの力もお借りして今後も登録に向けた取組を続けていきたいと思います。

日本酒の価値を守り、可能性を広げるGI

平出:2015年12月25日に指定された日本酒の地理的表示(以下「GI」といいます。)について教えてください。

山下:GIとはその産地固有の地理的条件や一定の製法、品質基準などを満たすことで指定されるもので、特定の地域で造られた酒類や農産物などの品質を守る制度です。例えば、ボルドーのワインと聞くとこんな品質だろうと頭に思い浮かぶと思います。「GI日本酒」は原料となる米に国内産米のみを使い、国内で製造された清酒のみが「日本酒」を独占的に名乗ることができる制度です。また、GIは、灘五郷であったり山形であったり、その地域の日本酒を認識していただくための指標です。GIを指定したからといってすぐさまボルドーのように広がっていくものではありませんが、長く続けていけば間違いなく財産になると思います。

平出:GIはどのように指定されるのでしょうか?

山下:酒類の地理的表示の指定は、原則として、酒類の産地からの申立てに基づき行います。指定を受けるためには、① 酒類の産地に主として帰せられる酒類の特性が明確であること、② 酒類の特性を維持するための管理が行われていることが要件となります。そのため、まず自分たちの地域のお酒はこんな特徴だという統一した基準を作ってもらい、まとまった段階で、酒類の特性を維持するための管理を行う機関から国税庁長官宛に申立書を提出します。申立ての内容が、指定要件に適合しているか、また、パブリックコメント等により広く一般の意見を聞いたうえで、国税庁長官がGIの指定を行います。

なお、GIは指定したら終わりではありません。酒蔵の方たちには、自分たちの地域のお酒について向き合っていただき、将来に向けたブランド戦略、品質を更に高めてもらうのも狙いの一つです。

また、当局としても、海外においても日本のGIが保護されるように国際交渉を通じて各国に働きかけ、一件でも多くのGIが保護されるよう努めています。

平出:日本酒は銘柄だけが一人歩きするケースが多いですよね。もしGIがなければ、材料さえあれば世界中どこででも造られることになり、日本酒の価値が下がってしまうので、この活動はとても大切だと思います。

山下:蔵元さんたちもテロワール*の大切さを認識しつつあります。ワインのブドウとは違い、お酒の原材料であるお米はどこにでも移動できるメリットがありますが、それが逆に地域の特性を奪ってしまうことにもなります。地方創生の観点からも耕作放棄地の問題からも、テロワールを大事にして地元のお米を使っていこうという流れになってきているので、それらをGIが後押ししています。

*テロワール:土地を意味するフランス語terreから派生した言葉。ワイン、コーヒー、茶などの品種における、生育地の地理、地勢、気候による特徴を指す。

平出:以前日本酒のテロワール調査事業として、独立行政法人酒類総合研究所*へ各地域のお水を送って、全く同じ条件でお酒を造ってもらったことがありますが、やはり味は違うという結果が出ました。

*日本で唯一のお酒に関する国の研究機関。酒類製造者に対する酒類製造に関する講習や酒類の鑑評会なども行う。

https://www.nrib.go.jp

山下:日本酒のGIにおいて、お米は産地外の事例もありますが、お水に関しては必ずその産地内のものを使うことになっているので、水は本当に大事だなと思います。

平出:原産地呼称に価値を置くワインのGIが既に世界に広がっていますが、それらに引きずられる必要はありません。むしろその価値観を利用して、水の豊かさを前提とした日本酒独特のGIを構築していけば、日本の国土の価値を上げていくことに繋がっていくのではないでしょうか。

山下:海外にアピールするには日本国内が盛り上がっていないと始まりません。日本酒にとって新たな時代が来ていると思います。そのことに蔵元さんたちが向き合い、きちんと情報発信をしていけるような流れを我々が整えていかなければなりません。最近では、低めの度数の日本酒を造ったり、いろいろな酵母を試してみたり、さまざまなチャレンジをされています。ぜひ多くの日本人の方に改めて日本酒の良さを知ってもらって、価値を再発見していただきたいですね。

平出:発泡のものだったり熟成させたものだったり、これまでの歴史の中で今が一番美味しい日本酒がある時代だと思います。アクティブシニアの方々には、日本酒に秘められた可能性や、単なる嗜好品ではないソフトパワーとしての日本酒を国が広げていこうとしていることを知っていただきたいですね。

平出淑恵さん

株式会社コーポ幸 代表取締役。若手の蔵元の全国組織「日本酒造青年協議会」の酒サムライコーディネーター。シニアソムリエの資格も持つ元JALのキャビンアテンダント。京都の蔵で飲んだ搾りたての大吟醸に 「日本酒は日本そのものだ」と感じたことをきっかけに日本酒の世界にのめり込む。日本酒を世界の酒にして、その価値を上げていくために日々奔走している。

山下尚志さん

国税庁酒税課輸出促進室長。平成11年に入庁し、国税庁酒税課に着任。その後、大田原税務署長、広島国税局徴収部長、大阪国税局査察部長などを経て、令和4年から現職。