「承継者として次世代に何を残し、伝えていくべきか?」
「さまざまな困難を迎える今の時代、いかに生きるべきか」
狂言師・野村萬斎さんとの対談を通じて、「相続」や「古典芸能」の伝える難しさ、
「人生100年時代」の考え方や生き方を解き明かしていきます。

制約の中でこそ想像が生まれ、
「引き算の舞台」にたどり着くことができた。

小谷:2021年2月から3月にかけて、萬斎さんご自身の演出による木下順二の名作戯曲「子午線の祀り」の全国公演に参加されました。前回の2017年の上演は数々の演劇賞を受賞するなど反響の大きいものでしたが、コロナ禍での再演は大変でしたでしょう。

萬斎:このコロナ禍で私自身、いろいろなことを考えました。移動や密を避けなければならないご時世ですから、演劇や舞台芸術などお客さまにお越しいただく催しは非常にやりづらい。とはいえ、私は世田谷パブリックシアターの芸術監督でもありますから、そもそも人が集まるとはどういうことなのか、と。そして、一人あるいは家族で過ごすだけでなく、劇場に大勢の人が集まって一つの場を共有すること、そして、そこで演じられるドラマを観て皆で泣いたり笑ったりしながら、自分が今生きているという実感を共有することこそが必要だと考えたのです。

小谷:私たち見る側にも、コロナ禍ゆえの芸術への渇望があります。ご覧になったお客さまは、「子午線の祀り」から大きな活力をもらったことでしょうね。

萬斎:リスクを負いながら、勇気と覚悟を持ってご来場くださったお客さまの気持ちにはお応えしなければならない。それこそが劇場の使命だと思います。その上で今回の「子午線の祀り」ですが、大曲ですから、役者も大勢必要ですし、舞台装置も大がかりなものです。しかし、それだと舞台上が密になりますし、地方への移動も大変です。しかも、入場できる観客数は50%までに制限されています。まさに八方塞がりですが、半面、そういう制約が創造を生むわけです。「引き算の舞台」とでも申しましょうか、今回は役者を前回の31人から17人に再編成し、舞台装置も見直して、結果的に非常に洗練された形にたどり着くことができたと自負しております。

身の回りの見苦しいものを海に放り込んだ知盛卿。
それも一種の整理整頓だったかもしれない。

小谷:そういう柔軟な対応ができるあたりが、演出家としての萬斎さんの素晴らしいところですね。「子午線の祀り」では、主人公である新中納言知盛卿を演じていらっしゃいます。知盛卿は壇ノ浦の戦いにおける平家の参謀役で、それゆえに一門の存続をかけて奮闘しますが、運命には抗えず、最後は自決するといった役柄です。演じる上でどのようなことをお考えになりましたか。

萬斎:知盛は、「見るべきほどのことは見つ」と言って壇ノ浦に沈んでいった武将です。私自身、1999年から4度に渡ってこの役に挑んでまいりましたが、「見るべきことは全て見た」と言い切る心境に達するのは正直なかなか難しい。しかし、コロナ禍でどんな運命であろうと現実と向かい合おうという風潮が生まれ、「死と背中合わせの中で生き切る」というこの戯曲のテーマがより鮮明になり、皆さんの共感を得られるようになっているのかなとは思います。

小谷:生きる覚悟、ですね。私は今60歳ですが、51歳のときに突然倒れ、医師から「あと3週間は非常に危険な状態で、いつ死んでもおかしくありません」と宣告されました。自分の死というものをどう覚悟したらいいか。情けない話ですが、私は覚悟など到底できなくて、毎日目が覚めると「ああ今日も生きていた」と安心し、生きていることが大事なのだな、とそのときから思うようになったのです。

萬斎:それは大変な経験をなさいましたね。

小谷:それからは、自分の身の回りの整理整頓を始めました。本を読むのが好きで大量に買い込んでいましたが、大半を図書館に寄贈しました。財産についても、ファイルを1冊用意して、そこに金融機関の取引関係の書類とか、お墓の許諾証とかを入れ、自分に万一のことがあったときに周囲がそのファイルを見れば分かる状態にしました。昨今でこそ「終活」が注目されていますが、人間は本来、自分の死を拒絶するものです。だからこそ、まずはこうした整理整頓をお勧めしています。頭の中も整理されますし、それが覚悟にもつながるのではないかと。

萬斎:実は、「子午線の祀り」にも、死を覚悟した知盛が船の艫より舳まで走り回りながら、目に付いた見苦しいものを次々と海に放り込んでしまうというシーンがあります。周囲から見ると滑稽にも思えますが、今のお話をうかがうと、これも一種の整理整頓なのだな、と。そうして、後腐れなく滅亡していったのかもしれません。

伝統芸能でも一般家庭でも家族の文化は、
「自分は何者か」という問題にも直結しますね

小谷:今日はぜひ、狂言のお話もうかがわせてください。私は、狂言には相続に通じる部分があると考えています。相続は本人からすれば自分の死へと向かうわけですが、周囲の家族から見れば、当人のいない「不存在」の世界です。結果として残された家族にはもやもやした思いがあり、相続の現場ではそれが突然激しい感情に変わって表出することがままあります。狂言はそうした人間の情や業などを取り上げながらも、さらりと、後にほんわかした感じが残るような形で表現しているように見えます。

萬斎:今の相続のお話をうかがうと、狂言において最終的に笑えるということは、ある意味幸せなことだと思いますね。狂言の登場人物が人間の本質というか、正直な部分を露呈したとしても、傍から見れば滑稽に思えるものです。とにかく一緒になって笑い飛ばせる、それが狂言の素晴らしいところかと思います。

小谷:そうですね。一歩間違えればどろどろした話になってしまうところを、軽やかな笑いへと転じている印象があります。実は、心情の変化という意味で遺言書にもそういうところがあるのです。私たちは遺言の「執行業務」というものをやっておりまして、どういう業務かというと、お預かりした遺言書を、お書きになった方が亡くなられた際にお持ちして、相続人の方々の前で読み上げるのです。相続人の中には、読み上げるうちに眉間のしわが深くなったり、鬼のような表情になったりする方もいます。

萬斎:ドラマよりもすごい話ですね。

小谷:まさにリアルドラマで、私たちも内心はらはらしているわけですが、それが一気にクールダウンする瞬間があります。「付言事項」と言うのですが、遺言書には作成者の気持ちをつづることができます。「お前にはたくさん生前贈与したから、相続分は少ないけれど我慢して」とか、「お母さんを頼む、家族仲良く暮らしてほしい」とか、付言事項を読み上げると、相続人の方々の厳しかった表情がふっと和らぐのです。故人のお気持ちが伝わったことを実感し、ほっとする瞬間です。こういう場面に何度も遭遇してきたので、私は、遺言書をお書きになるお客さまには、必ず付言事項もとお勧めしています。生々しい財産分与の話の後に少しだけ気持ちを添えることで、納得感の高まりとともにほんわかする。どこか狂言に通じる部分があるように思います。

萬斎:なるほど。

小谷:とはいえ、最近痛感しているのが、遺言書を書いた方と相続人の方との思いのギャップが大きいことです。それがなかなか埋まらない。能のように故人が現れて説明してくれればいいのですが、現実はお芝居のようにはいきません。そのギャップをどう埋めて差し上げるのか、そこに資産承継業務の難しさを感じています。萬斎さんは野村万作家唯一の男子で、生まれながらの承継者でいらっしゃいます。その中でおじい様の六世万蔵さん、お父様の万作さん、お母様や一門の方々から受け継がれたものがたくさんおありになると思います。

萬斎:一般のご家庭の承継とは、だいぶ事情が違うかもしれません。私は伝統芸能の承継者である一方、今は伝える側でもあります。息子の裕基に芸を仕込んでおりますし、他にもたくさん弟子がいて、古参の父の弟子は70歳を超えています。裕基との関係性は、親子というより師弟ですね。芸を伝えるということは、文化遺産を伝承することです。私自身、父から受けた稽古は非常に厳しいものでしたが、承継したものは何物にも代えがたい文化遺産でした。今は私が、それを裕基に伝えています。一方で、将来私の相続が発生したとき、娘たちにはその代わりに何を残すのかと考えることもあります。狂言はUNESCOの世界無形文化遺産に登録されるなど伝統芸能の枠にとらわれない大きな存在であり、狂言師のためだけのものではありませんから、一般の方にも例えば狂言特有のリズム感であるとか、狂言の遺産を引き継いで、生活の中でうまく生かしていってもらえたらと思います。まぁ、特殊な話ではありますが。

小谷:萬斎さんご自身もご家族も、引き継いでいくものの重みを常々自覚していらっしゃる。それは、とても大切なことだと思います。一般家庭であっても、日ごろから相続についての思いを話しておく必要はあります。日本の相続は長きに渡って跡継ぎが全財産を承継する「長子相続」でしたが、今はきょうだいが平等に受け継ぐ「均分相続」が主流です。「跡継ぎに全部任せる」では済まないのです。近くに暮らしていれば親子でいろいろ話もできますが、そうでない方もたくさんいらっしゃることでしょう。離れているからこそ、親が元気なうちにご自分の気持ちをしっかり伝えておくことが大切です。実際、相続でぎくしゃくされるご家庭は、家族間のコミュニケーションが欠落していることが多いのです。

萬斎:伝統芸能の承継においては、先祖代々というのを含めて、親から子へ、子から孫へという縦の線がはっきり出ます。とはいえ、普通の家庭でも親があってこそ子があるわけで、それは何も伝統芸能の世界に限ったことではないように思います。小谷さんのお話は、長子に集約されてきた家族の文化が、個人の時代になってどう承継されるのか、という話にも通じますよね。お金には代えがたい家族の文化は、「自分が何者か」という問題に直結します。こうした文化の承継を長いタームで見るという意識が希薄になってしまっている気がしますね。

小谷:おっしゃる通りです。例えば、実家の不動産一つ取っても、親がなぜそこに家を買ったのかの歴史を知らない方が多くなっています。普段一緒に暮らしていれば、何気なく親から聞いたり尋ねたりできると思うのですが、年に数回しか顔を合わせない親子だとこれがなかなか難しい。しかし、私はそれを聞いておくことが大変重要だと思っています。そのようなことを知っていることで、相続人の承継の理解度が変わってくるからです。

萬斎:家にあり続けるべきものと、なくてもいいものの見極めをどうするか。それが大事ですね。

芸の承継はまるで語学。親という文化に対して
ネイティブになるために修業する。

小谷:なくてもいいものは整理整頓する一方で、故人の思いが入っているものは大切に引き継がないといけないと思います。話が大きくなりますが、伝統芸能の承継においても、今は変化の多い時代ですから、変えていく必要があるものと、変えてはいけないものがあるのではないかと推察します。そのあたりはどうお考えですか。

萬斎:伝統的な曲を演じていると、時代と齟齬を来すことがあります。しかし、それなら現代風にアレンジしていいよといった簡単な話ではありません。うちの流派には254の曲があると言われ、それだけあると今やるべき曲とやらない曲とに次第に分かれてくるのですが、埋もれていた曲を発掘する際に、現代に合わせて変えてしまうのか、それともその曲が何を目的として作られ、それが現代社会の何を映すのかをよく考えて、といった本質的なところで判断しないとなりません。自分に合う合わないだけで判断すると、その曲の可能性が自分の尺度の中に収まってしまいます。曲の本質的な意味や作者の意思が分かっていれば、自分の尺度を超えた大きな構えで受け止め、「こういう意味があるんだ」という新たな価値観を見いだすこともできる。そうした文化や精神は大事にしていかなければならないと思っています。

小谷:多様化する社会の中で、相続も大きく変わってきています。おひとりさまやDINKSなどいろいろな生き方があって、自分らしく生きるときの承継に関して、何が必要かを考え、何かをやりたいと思っても、何もしないと現行法ではカバーできないケースが出てきているのです。そのためにも伝えることは大事で、例えば、今後ますます長寿化が進めば、身体機能や認知機能が低下して誰かのサポートが必要になる人も増えます。そして感謝の気持ちから世話になった相続人に多めに財産を渡すと、それが相続人間で争いの種になったりします。こうしたケースでは、私は、世話になった人が文章で自分の思いを伝えることが大切だと考えます。言葉だと、人によって解釈の仕方が変わってくる可能性があるからです。相続の現場に当人がいるなら話して理解してもらうこともできますが、本人不在で行われるのが相続ですから。

萬斎:そういう意味では、芸の承継はまるで語学だなと思うことがあります。狂言は古い言葉を使いますし、古い文化的背景もありますからね。親子承継すると、生物学的DNAが一緒だから伝わりやすいと言われます。構え一つ取っても、骨格も筋肉の質も似ているわけですから、確かに承継しやすいのかもしれない。しかし、それだけではありません。冗談のような話ですが、我が家も体型的に見ると父が五頭身、私が六頭身、息子は八頭身で、このバランス感覚の差をどう埋めるのかという問題があります。ましてや弟子となると、出自も体型もばらばらです。要は、親という文化に対してネイティブになるか、フォリナーのままでいるか。狂言や歌舞伎などの伝統芸能はその文化が強固であるがゆえに、ネイティブスピーカーにならないと分からない部分があります。弟子たちはネイティブになるために修業するのだし、たとえ息子であっても生物学的DNAだけでは足りず、修業によって芸のDNAも獲得する必要があるように思うのです。小谷さんが指摘された相続の際の渡す側と受け取る側の乖離から、思わずこうした文化の違い、言語の違いを連想してしまったわけですが。

小谷:まさに本質がどこにあって、それをどう理解しているかということに尽きるのかなと思います。本質をどう理解してもらうか、伝える難しさは常々感じますね。

萬斎:言葉で教えると、表面的な意味だけ受け取られて「そうじゃないんだよ」となることもあって、コミュニケーションはつくづく難しいものだと思います。近くにいれば、言葉を超えたコミュニケーションも生まれるのかもしれません。しかし、個人の時代になればなるほど、家族が共有するものをどう作っていくかというのが一つ、大きな問題になる。それは、ひいては日本人のアイデンティティがどこにあるのかというところにもつながっていくように私は思いますね。

小谷:確かにそうですね。先ほど言語の話をされましたが、狂言には装束とか、型といったルールがありますよね。萬斎さんは、「型はデジタルである」というお話をしていらっしゃいます。「アナログの自分とデジタルの型を組み合わせで表現する」とおっしゃっていたかと思いますが、いかに両者のバランスを取りながら表現されているのでしょうか。

萬斎:先人が作り上げた型は、それをやればデジタルに表現が拡張されるシステムだと考えています。そこに現在を生きている演者の活力が乗ることで、型がプロジェクターとなって演者が大きく見える。歌舞伎の型を見れば、非常に分かりやすいのではないでしょうか。先人たちが積み上げてきたものですから、型はいろいろな人のいろいろなサイズ感で作られており、大きくて多面的であると言えます。「人のふんどしで相撲を取るな」ということわざがありますが、古典芸能の世界ではむしろ「人のふんどし(型)を締めろ」という話で、太った人のふんどしが自分にゆるゆるだったとすれば、自分が太って、つまり演技の厚みや深みを増して、ふんどしが落ちないようにするという発想を持たないといけません。何百年もの時間をかけ、レンズを研磨するようにして洗練されてきた型には、それだけの価値があります。

師匠として、父として、改めて伝えたい
狂言だけにとどまらない「対峙の仕方」の伝統

小谷:私たち信託銀行にもフィデューシャリー・デューティー(FD)、つまり「受託者責任(託された者の責任)」という大変重要な理念があります。私たちはFDをアナログと捉え、デジタルはそれを提供するための商品や機能、つまり遺言であり信託で、そういうものを活用していければと考えています。しかし、今のお話をうかがっているうちに、デジタルの部分をもっと洗練していかないと、お客さまに満足していただくのが難しくなるのかなという危機感を覚えました。

萬斎:いろいろなお客さまの価値観に寄り添っていくお仕事なのですね。お金や不動産など実利的な部分に意識が行く方もいれば、それよりも広く文化的なことも含めた責任感ややりがいを感じるのが大切という方もいらっしゃるでしょう。とはいえ先立つものは…(笑)。生きていく上では大事ですからね。

小谷:おっしゃる通り、社会貢献的なもの、そして個人の資産、私たちはどちらも大事なものと考えておりまして、それにいかに寄り添っていくかという課題意識を持っています。萬斎さんはいつもエネルギッシュで年を取らない印象ですが、この4月で55歳を迎えるそうですね。最後に、狂言界を牽引するリーダーとしてこれから取り組んでいきたいこと、師匠として父として次世代に伝えていきたいことがありましたら、ぜひお聞かせください。

萬斎:私もだんだん伝える側の立場になってまいりまして、改めて考えると、やはり祖父や父のものの考え方に尊敬の念を持っていて、どう本質を伝えるかということに専心してきた二人の思いを、私自身も息子に伝えたいですね。型とか伝統とか、狂言界はとかく権威主義的になりがちですが、権威よりもそうした考え方を教えたいと思うわけです。「稽古は強かれ」と言うように、まずは芸の基本を作らなければなりません。基本ができた上で、例えば新しいことにチャレンジするにしても、どこに軸足を置いた上でするのかが大変重要です。それが、自分の中の価値判断の基準であるとか、アイデンティティをどこに持っていくかということにもつながります。狂言の家もいろいろありますが、うちの父は、“笑いの芸術”と言われる狂言でも「美しくあることが最大の目的」と言います。人間は美しい。そして、芸をしている人間も美しい。そういう美的感覚に訴えることで、芸術というジャンルの中で狂言を確立してきたのです。

小谷:それが、萬斎さんがお父様から引き継がれた思いであるわけですね。

萬斎:今は狂言だけやっていればいいという時代ではないのかもしれません。しかし、そういう状況でも息子には狂言に誇りを持ち、狂言の美意識を持った上で、他のジャンルにチャレンジしてほしいと思うわけです。もちろん、古典的な狂言をやる上では、今までこうだったという基礎を教え型に嵌めます。とはいえ、これから息子がいろいろなジャンルに挑戦するとき、私が手取り足取り「こうせい、ああせい」とやるつもりはありません。あくまで、息子が狂言師としてのアイデンティティを持ってそこに存在するのかという話ですから。要求されるのが狂言以外のことだとしたら、どうするのか。その対峙の仕方が、うちの大切な伝統ではないかと今改めて思います。やみくもに外の世界に出ればいいのではなく、美しくあれ、面白くあれ、楽しくあれという順序がうちの中では決まっているのです。この順序が逆のお家もあり、それはそれで、その家の個性です。ともかく、そうした日常とは違う美意識なり、面白さなり、楽しさがないと、お客さまはわざわざこの時期に、勇気と覚悟を持って劇場に足を運んでくださらないだろうと思うのです。

小谷:本日はありがとうございました。今後のさらなるご活躍を期待しております。

(※この記事は2021年3月に行った対談をもとに作成しております)

プロデュース:松竹株式会社 開発企画部、協力:万作の会

Profile
三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長
小谷 亨一
三菱UFJ信託銀行 トラストファイナンシャルプランナー。1級ファイナンシャルプランニング技能士、宅地建物取引士。2012年にリテール受託業務部長に就任し、遺言の企画・審査・執行業務などに従事。現在、相続・不動産のエキスパートとしてセミナー講師を務める傍らメディアでも活躍している。
俳優
野村萬斎
1970年「靱猿」で初舞台。1994年曽祖父五世野村万造の隠居名「萬斎」を襲名。狂言師として活躍するだけでなく、舞台、映画、ドラマなどに出演。2002年から世田谷パブリックシアターの芸術監督を務め、古典の技法を駆使した演出を手がけるなど幅広い分野で活躍している。