「一度きりの人生、なにを残し、なにを伝えていきたいのか?」
俳優・中井貴一さんとの対談を通じて、
「相続」という視点から「人生100年時代」の考え方や生き方を解き明かしていきます。
早くに亡くなった父の記憶はなくても、
父から受け取った言葉が、いつも僕の中にあります。
小谷:本年度のブルーリボン賞主演男優賞の受賞、おめでとうございます。
中井:ありがとうございます。
小谷:今回は記憶喪失の総理大臣という役でしたが、中井さんはこれまでもずっと、いろんな役を幅広く演じることを続けていらっしゃるわけですが、俳優には定年というものがありませんよね。
中井:はい、そうですね。定年のある商売の方から見ると、「定年がなくていいですね」と言われますけど、自分ですべてを判断しなければいけないという過酷な所もあって。セリフが覚えられなくなるとか、体が思うように動かなくなるとか、引き際をどこで判断するのか。自分自身の体と常に向き合わなければいけないので、そういう緊張感は常にありますが、精神と肉体を上手に管理しながら健康さえ維持していければ、ずっと死ぬまで続けられる商売だとは思います。
小谷:例えば、会社員の方なら定年後のライフプランを考えたりするわけですけど、中井さんの場合、「これからの人生で、何歳になったらこういうことをしたい」とか、将来のことを考えられたことはありますか?
中井:父は僕が2歳半の時に交通事故で亡くなったんですけど、私のデビュー後、父の付き人だった者が僕のマネージャーになりまして、彼も元松竹の大部屋の俳優だったのです。そんな彼から「お父さんに私がいただいた大切なものです」と伝えられた言葉が2つあるんです。それは、「俳優というのは、こういう商売だからこそ、下着は常にキレイなものをつけなさい。」ということと「いつ、なんどき、俳優を辞めたときも、社会で通用する人間でありなさい」というものでした。僕には父の記憶がないんですけど、その言葉がいつも自分の中にあります。俳優というのは顔が表に出る商売ですが、特別なものだとは思わないですし、それこそ、八百屋さんや魚屋さんがお店の前に立っているときと、僕たちが舞台やカメラの前に立ったりすることと同じだと考えています。だから、いち社会人であろうと常に心がけていますし、まぁ、普通に将来や老後のことについても考えたりしますね。
小谷:お父様の言葉も、中井さんの考え方もすばらしいですね。定年のあるなしに関係なく、人間、これから先なにがあるのか、正直わからないわけですから、ご家族がいらっしゃればなおさら、やはり自分がいなくなったときのことを考えておくというのは非常に意味があることです。我々のお客様の中には、「元気なままで突然あの世に行きたい」なんておっしゃる方もいますけど、「ちゃんと準備しておかないとダメですよ」といった話もよくさせていただくことも。自分の身の回りのことを事前に周囲の人に知っておいてもらうというのは、とても大事なことだと思いますよ。
中井:以前、僕が麻酔科医の役を演じたとき、50件くらい手術を見学させていただいたことがあります。その際に、麻酔科医の先生が、「皆さん、『ピンピンコロリがいい』と言いますけど、あれは残される者にとっては非常に残酷です。だから、僕は癌で死にたいと思っています。麻酔科医なので癌の痛みの取り方を知っていますし、医療技術がこれからもっと向上していくと、痛みを感じないまま普通に生活しながら死を迎えることが出来るようになるでしょう。その間、いろいろと準備をし、大切な人に別れを告げてキレイに去っていく。僕はそういう死に方をしたいんです」ということをおっしゃっていました。
小谷:お医者様ならではの言葉ですね。
中井:はい。準備をするということがどういうことなのか? それは金銭的なものも精神的なこともクリアにしていくという意味で、「なるほどなぁ」と感じましたね。
撮影場所:三菱一号館美術館Café1894
「モノ」だけでなく、「想い」も一緒に相続すること。
それが、一番大事なことなんだと思います。
小谷:中井さんは、「相続」と聞くとなにを思い浮かべられますか?
中井:たくさん税金を取られるなって(笑)。
小谷:それはそうですね(笑)。
中井:父が亡くなって、まず中井家の相続が行われたのですが、あまりにも突然のことだったので、何の準備もなく、大変だったという話は母からよく聞かされました。その話を聞かされていた事もあるのかもしれませんが、母の持っているものは父が母に残したもので、僕と姉に残したものではないとずっと考えていて。母とは生前に「お袋の財産はすべてお袋の物。自分の為にすべて使い切っていいからね。オレも姉貴も自分たちの人生を歩んでいるんだし、そうした方が一番いいと思うよ」というような話をしたことがあります。でも、母としては子供たちになにか残したいと思っていたのかもしれません。だから、4年前に母が亡くなったときも、「今あるものに対してどうするか」ということは多少悩みましたが、相続ということにそれほど翻弄された感じはなかったように思います。
小谷:なるほど。あまりネガティブなイメージはお持ちではないということですね。実は、ブルーリボン賞で受賞されたときの中井さんのコメントが僕の心にすごく刺さっていまして、「俳優という商売は感情表現が大事で、アナログかもしれないけれど、100年経っても変わらないもの」というようなことをおっしゃっていらした。それが、まさに相続に深く関連していると感じていまして。相続は感情表現がうまくいっている場合と、そうでない場合は大きく違ってきます。日本人は、「言わなくてもわかる」とか「はっきり言わない方がいい」みたいな所があるんですけれど、ちょっと気持ちの掛け違いがあったりするとすぐに揉め事につながります。ですから、中井さんがお母様におっしゃったような言葉は、家族の絆がさらに深まる感情表現だと思うんですね。ちなみにお母様とは、どんなとき、そのお話をされたのですか?
中井:確か母が人生で初めて入院したときだったと思います。人間って自分が弱くなったとき、「この先どうしようか」と不安になったりすると思うので、「心配しなくていい」と伝えるために、そういう話になったような…。
小谷:お客様といろいろお話させていただいていると、親は子を想って、子は親を想っているんですけれども、自分の価値観をうまく伝えられないことも少なくありません。例としてちょっといい話があるんです。同居しているのは長男だから、親は家を譲りたいと考えているんですが、長男の奥様が、「いやいや、あなた、家を譲り受けるのはやめなさい。そんなことをすると他の兄弟とのバランスが崩れるから」って。
中井:なるほど、素敵な奥様をもらいましたね。
小谷:これ、けっこうな感動秘話だと私は思っていて。
中井:家という「モノ」よりも、兄弟の仲を取りなさいっていうことでしょ。いや、すばらしい。会いたい、その奥様に(笑)。
小谷:なにを優先させるかというのは大切で、私はよくお客様に、「一番大事にしたいのは、なんですか?」と聞いて、「その大事にしたいことを中心に、財産の分け方や考え方を整理していくのがいいかもしれませんね」と提案するようにしています。
中井:「モノ」と「想い」が連動していること、要するに、買った「モノ」を相続するということではなく、どんな「想い」で「モノ」を買って人生を過ごしてきたのか、そのストーリーも一緒に相続していくことが一番大事なんでしょうね。
小谷:はい。実は、遺言書には「付言」という項目があります。遺言は第1条、第2条という感じで無味乾燥な文章なんですけれど、「付言」は、例えば、連れ添った奥様にずっと言えなかった「ありがとう」とか、子供たちに「お母さんを頼む」とか、そういったことを書くんです。家族への想いが「付言」された遺言と、そうでない遺言では、もう説得力が全然違います。遺言書を読み上げることを開示と言うんですけど、開示しているとき、財産が平等に分けられていないと、皆さん、「面白くない」という表情がストレートに出たりする。でも、その「付言」があると、「それでいいよ」と納得してしまう。まさに「モノ」と「想い」の連動を実感する瞬間ですね。
中井:エンディングノートみたいな。
小谷:まさに。ただ、終わりのノートにしちゃっていいのか、という疑問が我々としてはありまして、当社のエンディングノートは題名がないんです。「なんでも好きなことを書いてください」というノートにしています。先ほど、人間、いつ、どこで、どうなるかわからないという話が出ましたけれど、私、「もし自分が死んだときはこのメールを一斉送信してくれ」と妻に頼んであって、それはスマホの中に文章を用意してあるんです。妻は私の交友関係を一部しか知らないので。
中井:そのメール受け取った方々は、「私はもう死んでいます」っていう内容をご覧になって「えっ?ええっ!」ってなっちゃう人いますよね。一文、「驚かせてすいません」くらい入れておいた方がいいですよ(笑)。
小谷:わかりました、直しておきます。
中井:いや、メールを用意してあるのにも驚きましたが、なにより奥様がスマホの暗証番号を知っているということが一番ビックリです。
小谷:(笑)。
体の機能低下とどう向き合っていくのか。
「人生100年時代」とは、
そういう時代でもあるわけです。
中井:やはり年齢が上がってくると、自分の持っているものを増やそうとは思わなくなりました。断捨離というわけではないのですが、いろんなものを抱えるよりも、減らしていくことで、いつでも軽やかでいられるようにしたいという気持ちがあるのかもしれません。
小谷:それは、非常に重要なことですね。年齢を重ねてくると、余計なことにあまりパワーを使いたくないというか、人生を楽しむ方向に使った方がいいと思うんです。若いうちはなんでもできたことが、少しずつ体の機能も変わってきますし、「整理整頓をして自分がコントロールしやすくしておくことで、本当に大事なことを集中してやれますよ」とよく申し上げているんですよ。
中井:ホントにそう思います。。
小谷:今は人生100年時代と言われていますが、そこで我々の大きな課題となっているのは、認知なども含めた体の機能低下とどう向き合っていくか、ということがありまして。これからは、そういったことも考えておくべき時代になるんじゃないかと。
中井:父が亡くなった後、当然、母がいろんな手続きをしなければならなくなったのですが、死亡届けを提出して、いざ銀行に行ったら一切お金が出せなかった。
小谷:そうなんです。知らないとびっくりしますよね
中井:1964年ですから今から約50年前の話ですけど、本当に困ったそうなんです。だから、僕の結婚前に「あなたの葬儀ができるくらいのお金を奥さんがすぐに引き出せるように準備しておきなさい」って言われて、実際にそうしました。母親にそんなことを言われる人もあまりいないと思いますけど(笑)
小谷:すばらしい。そこは、やはりお母様の経験と知恵ですね。
中井:最近では「忘れる」という認知の問題も結構あるような気がしています。
小谷:認知機能が低下してしまうと本人の意志能力がなくなるわけですから、お金の出し入れが難しくなります。それに代わるものとしては昨年、民法の改正がありまして、相続の仮払い制度というのが加わっていますし、あとは、まさに信託機能で、「なにか起きたときはこの人にお金を渡してほしい」という信託もあります。いろんな選択肢が増えているので、どれを使うかというのは考えておくべきかもしれません。中井さんは俳優をやっていらっしゃる段階で、認知機能はかなり鍛えられているんじゃないですかね。
中井:人間は生涯でほんのわずかしか脳を使ってないとよく言われます。でもこの仕事をしていると、脳を酷使すればするほど、脳は成長し続けるような気がするんです。連続ドラマなら11話分、1話から順に台本が届き、撮影に合わせそのセリフを必死に覚える。でも覚えただけでは仕事になりません。さらに、自分の言葉として、淀むことなくそれを話さなければならないのです。毎日がその繰り返し。「もう頭の中パンパン」と思っても、なんとかなるんですよね(笑)。しかも、最初は10行のセリフを覚えるのに20分かかっていたのが、日を追う毎に10分になり、さらに5分で覚えられるようになる。これって使えば使うほど、脳の記憶力の容量というか引き出しが増えているんだと思うんです。もちろん慣れもあると思いますが…。ですから、我々のような仕事じゃない方も日頃のトレーニングが脳を活性化させる。特に会話することが大事だと思いますね。最近の若い世代は、すべてスマホでメールやSNSを使って、実際に会話することが少ないようなので、この先、認知機能がどうなっていくのか。
小谷:そうですね。考えると恐ろしいです。
伝えていきたいのは、「武士道」という精神性、
そして、日本人のベースとなる「美しさ」。
小谷:中井さんの場合、家族の間の相続ではなく、俳優としての相続というか、伝えていきたい「想い」のようなものはありますか?
中井:僕としては今、時代劇を残したいと一生懸命やっています。我々俳優という仕事は歌舞伎、能などとは違い、伝承芸能ではありません。しかし時代劇は唯一、先達たちからの伝承だと思うんです。「座る、立つ、刀を抜く、構える」といった所作や殺陣。その美しさ。そこには「武士道」という存在があり、それは古来から伝わる日本人の精神性みたいなもので、それだけは時代劇を通してきちんと残していきたいと思っているんです。例えば、「なぜ人を殺してはいけないのか」ということに対しては、明確に理論では答えられない。これに対しては、幼少期に親から「いけないものはいけない。やってはならないことがある。」とやや強制として植えこまれる必要がある。でもそれってつまり、学校で教わるものではなく、家庭で自然に教わること。「人を傷つけてはいけない、殺してはいけない」ということを頭ではなく、心と体で覚えさせる。これからの時代、ツールがデジタルになればなるほど、こういった道徳観を持つ精神性が必要になってくると思うんです。デジタルとアナログのバランスが。だから、僕たちは、その若い世代の価値観を否定することなく、でも、その精神性を伝えていく、相続していくべきだと。
小谷:まったくその通りだと思います。今のお話を聞きながら、僕は「仁」という言葉を思い浮かべていたんですけれども、要するに、「愛」ってことで、その「愛」は優しいだけではなく、厳しさも当然あるわけで。相続にもそういった「愛」が必要です。家族の「愛」をきちんと乗せた相続が、すごく大事だと思うんですよ。
中井:「武士道」というのは、当時、刀という武器を持つ武士を「武士たる者はこういうことをしてはいけない」と規制するもので、そこに精神性みたいなものがあるんです。惻隠の情とか、それは、日本人のベースにある「美しさ」で、「日本人は美しい」と、僕は思っています。世界から見ても、そうかもしれません。でも、今の日本はそのベースが失われつつあるような気がして、残念でならない。ですから、それが「俳優道」というものかもしれませんけど、その精神性が醸し出す「美しさ」を、どこかに残せたらいいなというのはあります。
小谷:中井さんの言う「俳優道」は、私の「信託道」かもしれません。
中井:僕の場合、CMをやらせていただいてようやく理解できたんですけど、「信託」と「銀行」の違いって、みんなよくわかってなかったりしませんでしょうか?業務内容の違いは当然ありますけど、本質的になにが違うのかということを、やはり伝えていかなければならないと。今の僕たちの年代から、やはり「信託だろう」って思います。
小谷:ありがとうございます。ぜひ、中井さんと「信託道」を作っていきたいですね(笑)。
中井:仕事をしながら資産とか相続とか考えられないですから、「ちょっとお願いします」と言える人がいればいいなと。だから、「信託」って、より人と人なんでしょうね。
小谷:まさに「信じて託す」ので「信託」です。我々が一番大事にしているのは、「フィデューシャリー・デューティー」という言葉で、受託者責任という意味なんですけれど、要するに「お客様に一切反することはできない。自分の利益よりも当然、お客様の利益を優先させないといけない」わけです。今風に言えば、お客様目線で、お客様に寄り添うということで、それが理念であり使命なんです。今日は、本当に貴重なお話ありがとうございました。最後に、中井さんご自身のこれからの夢とか目標をお聞かせいただけますか?
中井:これはいつも言うことなんですけど、「恥をかくということをどこまでできるか」ですね。やはり人間って、どんどん恥をかきたくなくなってくるんです、年齢を重ねてくると。
小谷:「恥をかく」とは、どういったことですか?
中井:挑戦するということです。僕たちの場合、新しいことをやるというのは、イチから教わることになるんですけど、一昨年、初めてミュージカルをやったときの稽古でも、「中井さん、違う、違います。音ズレてます」とか言われると、もう強烈に恥ずかしいけど、それを乗り越えていかないといけない。長く経験を積んでくると、ある程度の引き出しがあって、その枠の中で仕事をしようとするんですけど、もっと引き出しを増やすために、枠を超えて新しい挑戦をしながらどこまで恥をかけるか。自分の枠を、限界を超えるということです。人生が長ければ長いほど、俳優としての時間が長ければ長いほど、それは強く感じますね。